sergeant-wizard’s diary

飛行機のこととか

第61回気象予報士試験を受験しました

 

はじめに

気象予報士とは

よくテレビで天気予報の解説をしてる人が持っているあれです。

ただし天気の解説をすること自体に気象予報士の資格はいりません。

現象の予想をする気象予報業務をするときに必要になります。

なぜ受けたか?

合格して自慢したかったのと、気候変動に関心があったのと、新しいことを勉強することが好きだったので趣味として受けてみようと思いました。

仕事では一切使わない資格です。むしろ気象予報士をもっていないとできない業務はかなり限られているようです。

受験科目

試験科目には選択式と学科(一般、専門)と記述式の実技があります。

学科に合格すれば一年間は学科が免除されるため、多くの受験者はまず学科のみの合格を目指し、その半年後に実技のみを受験します。

とある参考書にも「学科・実技両方の一発合格は無謀」と書かれているくらいです。

しかし筆者は1年近くの長いスパンで勉強できる気がしなかったので、全科目の一発合格を目指しました。

結果

初受験で全科目合格しました。しかし、この記事は「こうすれば受かります」という主旨ではなく、「私の場合こうすれば受かりました」という参考情報と、「運の要素も大きかった」という二点を何よりも伝えたいです。

タイムライン概略

2023年08月 勉強開始

2023年11月 バーンアウトして勉強休止

2024年01月 勉強再開

2024年01月末 試験日

2024年03月 合格発表

筆者について

理工系大学院卒で飛び級できるくらいには真面目に勉強していたので、使える知識が結構残っていました。特に熱力学は未だに第一法則と気体の状態方程式から色々導出できるくらいには覚えていたので、学科(一般)の勉強は比較的楽でした。教養で受けた気象学の内容も少し覚えていました。

米国で自家用飛行機操縦士の免許を取得したときの知識も一部使えるものがありました。

勉強時間・勉強方法

300時間くらい、独学で勉強しました。

よく資格系のウェブサイトに1500時間と書かれることがありますが、恐らく中学くらいの知識から始めた場合、それくらいになるという意味なのではないかと思います。

大学で熱力学を学んでいれば500時間くらいは短縮できるし、また勉強の要領次第で人により倍半分以上の勉強時間になるのは当然かと思います。

実技10年分の過去問

受験するか迷っている方へ

今回の受験を振り返ってみると、辛い記憶の方が多い気がします。今受験を考えている方向けに自分が感じたことを記録しておきます。

既に受験を決めている方にはプラスになる情報でないので、決意が固まっている方は「受験を決めた方へ」まで読み飛ばしてください。

気象予報ができるようになるわけではない

気象予報士」と聞くと明日の天気がわかるようになる能力を身につけるような印象を持ちますが、実際には気象庁が発表している各データを解釈するような能力を身につけるだけで、予報のためのシミュレーションについて詳しく勉強するわけでもないです。気象庁が決めた枠組みの中で知識や用語、言い回しを暗記していくイメージなので、大学でシミュレーションをかじった身としては、実際の予報の部分をもっと深く学びたかったです。

ほんの一例ですが、「『未明』といえば午前0時から3時まで」といった知識をひたすら暗記していくような勉強が大部分になります。

試験のためだけに必要なスキルを練習する必要がある

資格試験全般に言えることですが、「その数字暗記する意味ある?」といったものをひたすら暗記する必要があります。

また、実技試験では、「紙に印刷された地図から低気圧の移動速度を定規と筆算で素早く求める」「緯度経度を一度単位で目測する」といったようなテクニックが求められますが、今の時代電卓を使ったり地図アプリを使ったりしたほうが実用的なのではないかと思いながら練習していました。

筆者は気象関連で使われている地図は平射図法ということを調べて、紙面上の任意の点を緯度経度に変換する式を導出してプログラムを書いて遊んだりしましたが、試験で問われるのはそんな本質的な内容ではなく、紙と手計算で点数を稼ぐ必要があります。

勉強として楽しいのは最初だけ

新しいことを学びたいという知的好奇心が満たされたのは、最初の一ヶ月だけでした。そこで内容を理解した後は、ひたすら試験対策で抜けている知識を覚えていく作業でした。難関試験とは言われますが、合格に所要する時間の大部分は暗記や反復練習に費やされました。

学科試験の教材がない

筆者のように「一発合格」にこだわってしまうと、この問題に直面します。気象予報士試験では公式から発表されている出題元がないため、「これさえ全部覚えれば絶対大丈夫」という境地に達することができないという苦しみがあります。

学科(一般)は小倉義光先生の一般気象学から出題されることがほとんどですが、これも公式発表されているわけではなく、時々難問奇問が出題されます。

学科(専門)は更に難易度が高く、過去問をすべて確認した上で出題されそうな知識のソースを自分でかきあつめる必要があります。その上で万全を期すとなると、それぞれのソースから出題されそうな知識をひたすら詰め込む必要があります。網羅的に読むだけではなく、「この知識出題されるかな?暗記しないたダメかな?」と疑心暗鬼で資料と向き合う戦いとなり、勉強として面白くない作業となってしまいました。こちらの記事のような知識をひたすら詰め込んでいくイメージです。

ある年の学科試験では推計気象分布についての出題があったのですが、この気象庁のページはホームページからのリンクがないために検索エンジンからしかたどりつくことができませんでした。このような出題のされ方なので「この範囲を網羅的に覚えれば大丈夫」という確信を持つことが最後までできませんでした。

 

ところで、そこまでしないといけないのは「絶対に合格する」「満点を狙う」という制約を自分に課していたからです。学科の合格点は11点/15点付近なので、「十中八九受かるだろう」というレベルまで持っていくなら難易度は一気に下がります。

 

これこそが筆者が失敗した点で、「何が何でも一発合格する!」と決めてしまうと途方もない労力が必要であることにいち早く気づくべきでした。「ダメならまた半年後、長い目で見て勉強する」と考えて取り組んだ方が労力としても、精神衛生上も遥かに楽だったはずと反省しています。

実技試験の採点基準が不明

実技試験では文章や図で解答する問題がありますが、その採点基準が公表されていないため、過去問を解いていても「まあこれなら満点かな?」とか、「このキーワードっぽいのが入ってないから減点かな?」といったように勘で答え合わせをし続けることになります。何度も過去問を解いていくうちに言い回しが体にしみついて模範解答に近づいてはいきますが、それでも一字一句同じにはならないので、「はたしてこれでちゃんと点をもらえるだろうか?」と最後まで半信半疑で試験対策に取り組むことになります。

 

筆者の過去問の具体的な解答を見てみると、「5⽇9時に予想される,この低気圧付近の,850hPa⾯の相当温位分布の特徴を25字程度で述べよ」という設問に対して、「周囲よりも相対的に相当温位が高くなっている」と解答しましたが、模範解答は「低気圧の中心付近は相当温位が相対的に高い」です。この違いが何点の違いになるのか、結局は採点者にしかわかりません。

 

また結果通知では得点が記載されないため、実技で落ちてしまった人は果たしてどれくらい合格点に近かったのか分からず、暗中摸索となってしまいます。

実技試験は時間との戦い

実技試験は75分の試験が2回ありますが、時間設定がギリギリに設定されています。先述したような紙面上・定規・筆算をはじめとする試験のためだけの特殊な技能を駆使して、時間内にできるだけ多く解答する戦いとなります。したがって実技試験に向けた練習の大部分は、既に解き方を理解している問題を1秒でも速く処理する練習に費やすことになり、気象の現象そのものについて熟慮するような時間はかなり限られます。むしろ熟慮を必要とする問題は後回しにして、即答できる問題を必要最低限の時間で処理する選別眼こそが得点力のためには重要です。したがって実技の勉強では、実質的には知識を身につけるというよりも試験のための単純な反復練習にほとんどの時間を費やすことになり、しかもそれを制限時間内に収めるという焦りの中で何度も何度も続けなければならず、精神力が問われます。

「絶対合格」が難しい

気象予報士試験は難関と言われるだけあって、過去問にないような難問奇問がたびたび出題されます。

学科では15題中12題くらいは過去問をしっかりやっていれば解ける問題であることが多いですが、残りの約3題くらいは対策のしようがないような変則的な内容が問われることがあります。合格点が11点付近なので、ケアレスミスで2問落としてしまった上で、難問奇問枠3問も運悪くすべて落としてしまったら不合格となってしまいます。

 

とろこで、一般・専門・実技の各科目に合格する確率がそれぞれ90%だとしても、すべて合格する確率は0.9^3=73%なのでそこまで高くなりません。これが一発合格の難しさです。人間なのでミスをすることもあり、運が悪ければ不合格になるという事実を受け入れることができないと、精神的に参ってしまいます。

 

かくいう筆者も、合格する確率は恐らく70%-80%くらいだったのではないかと推測しています(詳細は以下の過去問記録参照)。試験対策をすることで合格する確率はある程度のところまでは上げることはできますが、最終的には試験当日にサイコロを振って2以上なら合格、くらいの心持ちで挑むしかありませんでした。完全に実力で合格する方もいらっしゃるのでしょうが、その辺は自己奉仕バイアスも含めて見るべきなのではないかと考えています。

 

一方、上記サイコロくらいの実力の人が3回(1.5年)以内に合格する確率は、1-(1-5/6)^3=99.5%となるので、実力があれば何回か受けていれば合格するでしょう。実際には学科免除権を得て実技のみで合格する受験者が多いのもこれに関連する事実で、とある分析によると合格者の約5/6は学科免除での合格だそうです。筆者はそこまで長い期間、試験対策をする気力がなかったので1回目で不合格ならもうやめるつもりでした。長い目(半年から1年以上)で見て合格すれば良いと考えることができなければ挑まない方が良い試験なのかもしれません。

サバイバー・バイアス

気象予報士試験に関する情報が少ないのでネットで合格体験記などを見る受験者も多いかと思います。ただ合格した人の方が不合格の人よりも情報を発信しやすい傾向があることには注意したほうが良いでしょう。かくいう筆者も不合格ならこの記事を書いていなかったと思います。

さて、このバイアスを理解していると、「○○さんは△△をやって合格しているので、自分も△△をやれば合格できそう」と考えるのが危険であることがわかります。というのも、△△をやっていても不合格になっている人がその何倍もいるけど、ただネットに情報を発信していないだけの可能性もあるからです。

合格率5%の試験なので、合格体験記1本に対して不合格体験記20本を見なければ辻褄が合わないはずなのです。

筆者は「ここまでやれば合格する」と言える勉強方法は存在しないと考えています。筆者の感覚と頭脳ではどんなに対策しても、一度の試験で合格する確率を80%以上にあげることは難しいと感じています。

受験を決めた方へ

前項のまとめとして

  • 「絶対合格」の境地はないと受け入れることができる
  • 半年以上のスパンで、既に理解していることを延々と反復練習する覚悟がある
  • 一度の試験で不合格でもまた次に向けて頑張ることができる
  • 実際に業務で資格が必要・必要な職業に就きたい

という人でなければあまり受験をオススメしないことが伝わっていれば幸いです(ちなみに筆者はどれも当てはまりません)。それでも受験すると決めた方向けに、筆者の勉強の軌跡を参考までに記録しておこうと思います。

教材

特に専門については色々なソースに出題される内容が散在しているので苦労しました。基本的に公式(気象庁)が発行しているものの最新版を正として自分で情報収集する必要があります。

タイムライン(詳細)

2023年08月

気象予報士かんたん合格テキスト、一般気象学を読む。

Ankiに暗記事項入力開始。毎日カード数上限なしでレビューする。最終的には1500カードになる。

2023年09月

過去問研究開始

  • 一般: 第41回-第55回。ほぼ合格点以上、稀に合格点未満。
  • 専門: 第41回-第55回。「かんたん合格テキスト」の知識だけでなく、気象庁ウェブサイトの知識が必要であることの気づき、情報収集開始。それを詰め込むと合格点に届くようになる
  • 実技: 第39回-第53回まで解く。はじめのうちは合格点前後の点数、時間は15分オーバー。次第に時間内に合格点に届くようになる。
2023年10月
  • 学科: だいたい大丈夫そうな感触になってくる。専門だけ2周目。
  • 実技: 第39回-第53回の2周目。時間はほぼ時間内、合格点+15点。時々ケアレスミスがあるのでその傾向を把握する。第46回実技2のように、2周目でも時間内に終わらない高難易度回があるのでその研究をする。
2023年11月、12月

バーンアウト。収穫逓減に嫌気が差し勉強(というか、反復練習)に意欲が湧かなくなる。

  • 学科: ほぼAnkiのレビューのみ
  • 実技: 3周目を始めるが内容を理解しているので興味が続かず、途中でやめる
  • 割りとギリギリの精神状態で受験手続きを出したような気がします
2024年01月

第55回以降の実力測定用に手をつけていなかった回に着手する。

  • 学科: すべて合格点以上だが、一部合格点ピッタリなのであまり安心できない。
  • 実技: 第55回-第60回の6回中、2回は合格点-0.5点で不合格。上記のサイコロの感覚はこの辺から来ています。

過去問記録

学科(一般)

一般は合格点を下回ることはあまりまりませんでした。

第36回-第60回を1周し、2周目はほとんどやっていません。

一般・合格点との差分・解いた順



学科(専門)

専門は最初の方は気象庁のウェブサイトからの出題が多いことに気づいておらず、合格点に届きませんでした。出題のソース(気象庁ウェブサイト、数値予報資料など)をある程度突き止めて知識を入れてからは合格点に届くようになりました。2周目は問題を覚えてしまっているので、そこまでやる効果は高くなかったかと思います。

第36-第60回を解いて、うち第42-第54回は2周しました。

専門・合格点との差分・解いた順
実技

実技では制限時間内に解き終わる能力が求められますが、これは回数を重ねて慣れていくしかありません。下図では第39回から54回までの16回分×実技1,2の2回分、計32事例を解くために所要した時間をまとめました。最初の方は制限時間を超えても全て解き終わるまでは続けるようにしていました。これだけやって、やっと難易度低~中くらいの回では時間内に終ることができるようになりました。難易度が高い回は、最後まで制限時間内に完答することは難しかったです。

実技・制限時間との差分、横軸は解いた順

点数は、はじめのうちは合格点を下回ることが多かったですが、慣れてくれば合格点付近かそれ以上を取れるようになっていきました。

実技・1周目の合格点の差分、解いた順

時間と点数の関係でいうと、予想に容易いことですが簡単な回=時間が余る=高得点、難しい回=時間が足りない=低得点という傾向がはっきりとでます。

勉強する上では、最初の30回くらいは合格点以上の解答クオリティで75分を目指すというのが一つの目標となるでしょう。

時間と点数の相関関係

 

 

時々「実技対策として◯◯周すれば良い」という話があります。ヒストグラムで見ても2周目以降は合格点を大きく上回っているので、良い面としては出題のしかたに慣れたことが確認できますが、悪い面としては新たに見る問題に対応する練習にはなっていないです。

実技・横軸:合格点との差分、縦軸:頻度

最後に、試験直前の1月の実力試しのために取っておいた第55回-60回の結果です。ここでは制限時間の感覚も大切になると考えていたので、75分経過の時点で解答終了してその時点での点数を記録としています。間に合う回もあれば間に合わない回もありました。

直前の実力試し

最終的には第39-第54回: 2周、第55回-第60回: 1周したことになります。

 

細かすぎて伝わらない受験テクニック

地理

天気図で等値線などがゴチャゴチャしていて海岸線が見えないことがよくあります。そんな中でも地名がわからないと困ることが時々あります。そのために、筆者は以下のように緯度経度の線から海岸線と対応する地名を記入できるように練習しました。

ちなみに平射図法の考え方から緯度方向の同心円の半径は、cos(緯度) / (1 + sin(緯度))に比例、経度の線は経度の値をそのまま使用します。

地理
一度単位の緯度経度の読み取り

地図上で一度単位の緯度経度を読み取る問題があります。

筆者は最後まで目測で10分割の読み取りができるようになりませんでした。そこで以下の図のような三角形をトレーシングペーパーに書く方法を編み出しました。

底辺を10mm間隔で分割した三角形です。二等辺三角形でなくてもよく、任意の三角形が使えます。

緯度経度読み取り用三角形

さて、これがトレーシングペーパーに書いてあると、任意の点を緯度経度を読み取ることができます。下図の赤線分上の点は、左端が東経130°、右端が東経140°とすれば137°、といった具合です。昔は等分割ディバイダの持ち込みが許可されていたようですが、禁止されている現代、10分割が苦手な方は使ってみてはいかがでしょうか。三角形は慣れれば30秒くらいで書けるので、緯度経度を大量に読み取る回では役に立つのではないかと思います。

分割したい点の読み取り
速度・距離の計算

手計算がいらないように作図で求める方法もありますが、解く速さを比較した結果筆者は筆算で求めるのが安定しました。

緯度10°=1110km=600NM、それを24時間で移動する場合46.3km/h=25kt、1kt=0.514m/s=1.852km/h あたりの換算は一瞬でできるようになる必要があります。

実技で図を切り離すか?

筆者は切り離しませんでした。図の順番を保つ、時間を節約する、というメリットだけでなく、最も重要視したのは家での練習通りに本番もできるという点でした。自宅のプリンターで本番のようなミシン目を再現することはできないので、切り離さないの一択でした。

問題用紙・解答用紙などの環境は極力、本番環境に近づけました。

実技高難易度回

明らかに別試験になってる回の紹介です。筆者は高難易度回が苦手なので、恐らくこの手の回に当たっていたら不合格になっていたと思います。

  • 第40回実技1
    • 1周目52点、25分超過
    • 2周目66点、15分超過
  • 第46回実技2
    • 1周目43点、22分超過
    • 2周目70点、6分超過
  • 第57回実技1
    • 1周目55点(制限時間打ち止め)
  • 第59回実技2
    • 1周目47点(制限時間打ち止め)
試験当日
  • 通信機能のない腕時計の電池が切れていたので、子供用の目覚まし時計(温度計・湿度計付き)で代用したがお咎めなしでした
  • 受験票はテープで机に貼りました
  • シャーペンの替芯を机に置いていたら怒られました
  • 一般は12/15点、専門は14/15点でした
  • 実技1は20分近く余ったので多少困惑しましたが見直しを徹底しました
  • 実技2は2分くらいしか余らなかったです
  • 実技1でトラフを二重線で解答すべきところを普通の線で書いてしまいました

おわりに

というわけで、今回の体験をざっくりまとめると、「最初は勉強楽しかった。途中から飽きて理不尽で辛かった。最後はサイコロ振って受かった。」です。

合格した人よりも、どちらかというと不合格でも何度も挑戦を続けることができる方々に尊敬の念を抱く経験となりました。

自分はまぐれの一発合格でしたが、数年越しで執念の合格を勝ち取った方々の不屈の精神に敬意を表します。

普通のサラリーマンがパイロットのライセンスを取得した話

背景

幼少の頃から飛行機の操縦に興味があった私が、アメリカでパイロット・ライセンスを取得した経験を綴ります。

普通のサラリーマンが、フルタイムの仕事と育児をしながらでも決して不可能な話ではないと思います。

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訓練で使用したセスナ150。自分が生まれる前に製造されている!

なぜアメリカで取るのか

費用の一言に尽きます。日本で取るよりも数百万円安いです。

「飛行機」の免許を取るのはどれぐらい難しい!? そのお値段は? | マイナビニュース

 

私の場合、運良く仕事関係でアメリカにしばらく駐在することになったので、訓練を決意しました。

ライセンスの種類

私が取得したのは入門としてもっとも一般的な、「単発エンジン」「陸上」の「自家用」ライセンスです。

飛行機の区分

以下の区分で別れます。

  • エンジンが単発か、複数か
  • 陸上飛行機か水上飛行機か

パイロットの区分

大部分の人が最初に取得するライセンスは「自家用 = Private」です。

「自家用」は運転免許の第一種のようなもので、乗客からお金をもらったりできないため、プロのパイロットを目指す人は Commercial 、 Airline Transport とステップアップしていきます。

また、雲や霧の中を飛びたい場合は「計器飛行証明」を取得する必要があります。

飛ぶことができる距離や空域に制限がある、Recreational Pilotという選択肢もあります。

ライセンス取得までの流れ

  • フライトスクールを見つける
  • インストラクターを面接して決める
  • 訓練開始(インストラクターと二人で飛行機に乗る)
  • 学科試験の勉強をして準備ができたら学科試験を受ける
  • ソロ・フライト(自分だけで操縦する)
  • クロスカントリー(50マイル以上のフライト)
  • 夜間飛行
  • 最終試験に向けての訓練
  • 最終試験(口頭試問と実技、合格すればその場で免許発行)

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サンフランシスコ上空。訓練中は「いい眺めだなー」みたいな余裕があるタイミングはそんなに多くない。

費用

一般論

かなり個人差があります。 

費用の大部分は飛行機のレンタル代と燃料代で、普通はエンジンがかかっている時間で請求されます。したがってかかる費用はトータルの飛行時間にかなり大きく左右されます。

連邦航空局が定めている最低飛行時間は40時間ですが、全米の平均は約60時間と言われていて、人によっては100時間を超えることもあるそうです。

また後述の不確定要素の問題もあり、「絶対に○○万円で取得できます」と言い切ることができません。

ベイエリアで取得する場合、ざっくり150万円から300万円の間といったところだと思います。

著者の場合

私の場合は飛行時間43時間で取得することができました。アドバンテージだったと思う点は、

  • 幼少の頃からフライトシミュレータにどっぷりで、実機で覚え直さないといけないことはほとんどなかった。7時間でソロ・フライト達成はインストラクターも驚いて、シミュレーターのおかげだと言っていた。
  • 機械工学専攻だったので学科試験の大部分は訓練を始める前から理解していた。飛び級できるくらいには真面目に勉強していた。学科はインストラクターにお金を払わずに独学で勉強した。
  • 子供の時にアメリカに住んでいたので英語が足を引っ張ることはなかった。
  • セスナ150でレンタル代を節約した。

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飛行や勉強に必要な道具も色々買う必要があります

期間

 アメリカに短期滞在する場合は毎日飛んで期間を短くしたいところですが、そうでない場合は週に2-3回くらい飛ぶのが良いとされています。一般的には3ヶ月-6ヶ月くらい、私の場合は色々運がよく3ヶ月で終わりました(「不確定要素」参照)。

また何十回とフライトスクールに通うことになるので、独身でなければ家族の理解は必須になります。

不確定要素

家庭と仕事のこともあり、期間と費用をカッチリ抑えないといけないプレッシャーがありましたが、残念ながらコントロールできない・しづらい要素がとても多い世界でした。

天気 

自家用操縦士の場合、有視界飛行の条件下でないと訓練は中止になります。私の場合は夏のカリフォルニアだったので、曇のために飛行を中止したのはたったの1回ですみました。この時期ベイエリアMarine Layerと呼ばれる、毎朝太平洋から来て午後には晴れる雲が支配的でした。SkyVectorのようなウェブサイトでそれぞれの空港の天気を見ると参考になります(緑が有視界飛行条件)。

フライトスクール

サービスの質がスクールによってかなりばらつく印象でした。

例えば、私のような外国人が訓練を開始する場合はフライトスクールが運輸保安庁に対して手続きをしないといけないのですが、これを1日でやってくれるところもあれば、3週間かかるところもありました。

フライトスクールを選ぶときは、受付の対応を見たり在籍している訓練生に詳しく話を聞いたほうが良いです。

 

また違う観点として、空域があります。私が通っていたHayward空港はアメリカ有数の空域が難しいところで、クラスE、クラスD、クラスC、クラスB空域が3次元で入り乱れるところでした。Haywardで飛べるならアメリカどこでも飛べるとジョーク混じりで言われていました。すごく田舎の空域が単純なところで訓練したパイロットの中には、空域が難しすぎてベイエリアに飛んで来れずに訓練し直す人もいるそうですが、かといって基本的な操縦もままらなない上に複雑な空域のことも考えながら訓練を始めるのも結構難易度が高いかなという気もしました。

 

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連邦航空局が発行する空域を表すTerminal Area Chart。試験に出ます。

インストラクター

インストラクターも人によってかなり違いがあり、専業のフライトインストラクターもいれば、エアライナーに採用されるまでの小遣い稼ぎとしてインストラクターをやっている人もいます。

一般的にはインストラクターを途中で変更するとトータルの訓練時間は伸びると言われているので、できるだけ最初に気が合う人を見つける、もし合わなければ早めに変えることが重要です。

インストラクターの選び方はこの書籍がとても参考になりました。

試験官

自分にとっての一番のストレスは試験官でした。最終試験を実施することができるのは連邦航空局に登録されているDPE(Designated Pilot Examiner)と呼ばれる人たちだけです。

訓練の終盤でインストラクターから試験官を探せと言われ、ベイエリアに登録されている十数名のほとんどが3ヶ月待ちと知ったときには絶望しました。

最終試験までに腕が鈍らないように飛び続ける費用もかかるし、試験勉強もダラダラと続けないといけなかったからです。

たまたま一人、DPEになりたての人を見つけて、3週間待ちで済んだのはただただ運が良かったとしか言えません。

また幸い最終試験に一発合格したものの、再試験になっていたり、当日天気が悪かったかもしれないと思うと、なかなか恐ろしいです。運の要素が大きかったと言わざるを得ません。

 

加えて、試験官の趣味嗜好や人格も無視できない要素です。

近年ではコックピット内のデジタル化も進んできていて、当局もデジタル化は安全性の向上に寄与すると認めているにも関わらず、最終試験では紙のチャートを使う方が「無難」とインストラクターに言われ、紙で訓練しました。

自分はライセンス取得後は絶対にデジタルを使うので、訓練もデジタルでやりたかったのですがその点は残念でした。

しかも結果的に自分を担当した試験官はデジタルOKの人だったので、結構な機会損失をしてしまった感があります。

 

またスケジュールに空きが多い試験官は悪名高いことが多く、例えば試験中に怒鳴ったり、理不尽な理由で再試験にすることもあるという噂を聞きました。

 

自分はベイエリアに家族がいるので近くのフライトスクール以外に選択肢はなかったのですが、もし選べるのなら試験官のことも考慮して訓練する場所を選ぶべきです。

フライトスクールとインストラクターが試験官のことをよく知っていることはとても重要な要素だと思います。

危なくないの?

マクロに見ると、この記事のように単位時間や単位距離あたりの事故率で自動車との安全性を相対的に比較するとどれくらい危ないかが感覚的にわかります。

ミクロに見ると、飛行機を運用しているフライトスクールだったり、メカニックだったり、パイロットに依存する要素が大きいと思います。意識が高いパイロットは安全のためにできるだけ高い高度で飛んだり、常に緊急着陸のことを考えたり、頻発する事故を勉強したりしています。

とはいえ、事故はやはり起きます。私が飛行中、隣のスクールが運用するヘリコプターが墜落、Haywardの滑走路が2本とも閉鎖されて着陸できないことがありました。まもなくそのスクールは閉鎖しました。なかなか考えさせられる出来事でした。

安全が何よりも大事なら家にいることが一番なので、あとはリスクをどう考えるかだと思います。

英語

読み書きについては、連邦航空局が発行するこの教本が読めれば大丈夫です。

多くの日本人の場合、おそらく会話の能力がクリティカルになると思います。

聞く能力については LiveATCを聞いてみるのが良いと思います。ただしSFOやLAXみたいな国際空港はほとんどコマーシャルパイロットが話しているので、Hayward Executive (HWD)やReid-Hillview (RHV) のような自家用飛行機のパイロットが多い空港の方が参考になります。自分も聞き取れないことが多いですが、慣れてくると「この文脈ならこのようなやり取りのはず」と考えて聞き取れるようになっていきました。これは日常会話でも一緒で、音素レベルで聞き取れなくても会話の流れから類推することはとても多いと思います。

 

RHVといえば、日本人が多く通うフライトスクールがあり、ここの無線を聞いているとカタカナ英語でも管制官はまず聞き取ってくれることがわかります。航空無線で使う単語は限られている(中学で覚える量よりも少ない)ので、インストラクターと試験官とさえコミュニケーションが取れれば英語が「ペラペラ」である必要はないです。

 

ただ現地の人から見ると、このように見えてしまうところもあるようです。

www.yelp.com

 

(ところで、自家用飛行機操縦士免許の要件は "The person is able to read, speak, write, and understand the English language" とされているのですが、結構大雑把ですよね)

おわりに

パイロットはみんな、初ソロ・フライトは一生忘れられない思い出になると言います。

少し高めの趣味になってしまいますが夢を夢で終わらせたくない人は挑戦してみてはいかがでしょうか。費用は勤勉さ、努力によって多少は安くできます。

まずとっかかりとしては、 Pilot's Handbook of Aeronautical Knowledgeを読んでみるのが良いと思います。